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蕨市名誉市民

最終更新日:2008年12月9日

岡田徳輔(おかだ・とくすけ)氏

 昭和43年5月3日名誉市民に推挙。
 昭和21年3月、当時の蕨町長を1年務めたのち町議会議員3期、県町村議長会会長を3期、全国町村議長会会長を2期歴任。このほか自治大学運営審議会委員、地方制度審議会委員、町村合併促進審議会委員、自治庁参与に任命され、地方自治発展に尽くされました。昭和34年6月、市制施行後初の選挙による市長に就任し、昭和38年6月に退任。また市民として、奨学金400万円をはじめ、市立病院の医療器具医学書に131万8千円、児童館建設に100万円、児童遊具施設や図書等に50万円など、私財を投じて教育振興、福祉の向上のためそして市民生活安定のため献身されました。
明治19年2月19日生まれ。昭和46年8月23日永眠。86歳。

金子吉衛氏(かねこ・きちえい)氏

 平成3年1月11日名誉市民に推挙。
 昭和6年、東京市役所(現都庁)に奉職。その間麻布区長、文京区助役、養育院長、監査事務局長などの要職を歴任され、昭和42年、多くの地域住民に推されて蕨市長に当選。財政的に困難な情勢下で、市民の生活環境の整備改善、教育文化の高揚、社会福祉の推進を目標に掲げ、県下でもいち早く基本構想を策定し、区画整理の促進、コミュニティ活動の推進、市民憲章の制定、住民との対話、緑と花のまちづくり、社会福祉の向上などに全力で当たられました。特に、老人問題には強い関心を持たれ、77歳以上の老齢福祉年金受給者の医療費無料化や社会福祉協議会の設立など、多くの福祉施策を打ち出し、福祉のまち蕨の礎を築き上げました。2期8年間の市長退任後も金子氏は、社会福祉協議会会長として、葬儀の簡素化をはじめ、愛の給食サービス、入浴サービス、福祉債の発行、しらうめ基金条例制定など在宅福祉サービスの充実に努められたほか、県社会福祉協議会長、県共済会長、共同募金評議員、全国社会福祉協議会地域福祉特別委員として県や国の福祉向上にも尽力。また、郷土の研究に精魂を傾けられた金子氏は、昭和46年から郷土史研究会長として活躍、蕨を知る貴重な資料を後世に残されています。平成2年12月19日永眠。故人をおしのびし平成3年1月25日、市民会館で蕨市民葬。86歳。

田中啓一氏(たなか・けいいち)氏

 平成20年5月3日名誉市民に推挙。
 昭和34年、蕨市議会議員に当選、町から市への移行後の制度や事業の見直し、下水道や道路の整備、公共施設の整備等、4期16年間、市民の代表として市と連携をとりながら市政を推進した。
昭和50年4月に第5代蕨市長に就任し8期32年にわたり市政を担い、蕨市の発展のために一筋に尽瘁された。就任当時は、下水道の整備、区画整理事業などの都市基盤の整備や学校校舎の鉄筋化やプール併設の整備など、市民生活の安全と福祉の向上に全力を傾注され、その後、特別養護老人ホーム・蕨サンクチュアリ、蕨市民公園、青少年野外活動施設「信濃わらび山荘」、総合社会福祉センターの建設やコミュニティバスの運行開始など、数多くの事業を実現し、更には平和を愛する市民の心を結集した「平和都市宣言」や全国初の住民参加の「まちづくり条例」の制定などを行った。
また、アメリカ合衆国カリフォルニア州エルドラド郡との姉妹都市交流やドイツ連邦共和国ヘッセン州リンデン市との友好都市交流では市民団体の顧問として交流を推進し、国際理解と平和を目指したまちづくりを進めた。
市域においては、昭和38年に蕨市スポーツ少年団の本部長に就任、子どもたちの心身の健全な育成に尽力された。平成2年5月からは蕨市社会福祉協議会会長として、地域福祉活動計画の下、先人が築いた事業を継承拡大し、子育て支援を目的とする「ファミリーサポートセンター事業」などを立ち上げ、地域に根ざした福祉サービスに貢献された。
平成19年5月に蕨市長を退任。大正15年4月2日生まれ。

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